釧路人 「絶対この海の向こうへ行く!」と
思っていたのがその後の私の原点。

川村 悦郎(かわむら えつろう)さん
vol3

川村 悦郎かわむら えつろう さん68歳

「くしろを英語の街にしよう会」代表

1949年生まれ。釧路湖陵高校を卒業後、東洋大学文学部卒業。
同大学院で修士号を取得。
予備校講師や翻訳業を行いながらフィリピンを訪れ、
ノンフィクション取材を重ね執筆出版。96年に移住。現地新聞記者、
大学准教授、語学学校設立を経て帰郷。2017年、
「くしろを英語の街にしよう会」を発足。

TALK.01

この海の向こうへ!
少年の夢はやがて現実に

私は海外での語学経験を活かして「釧路を英語の街にしよう会」を設立し、代表をしています。  長く日本を離れていましたが、故郷はこの釧路。通っていた中学校は海を望む丘の上にあり、部活動の後はよく海を眺めていましたね。いつも「絶対この海の向こうへ行く!」と思っていたのがその後の私の原点。
 高校卒業後に上京し、大学院を出た後は予備校講師や翻訳業をしながら、年に2回はフィリピンへ。ノンフィクションの取材が目的。
 その後、本格的に移住してまずは現地新聞の記者。そのあと大学で日本語を教え、自分の語学学校をマニラに開き、3年前に故郷に戻ってきました。
 そして今年「くしろを英語の街にしよう会」を発足。現在メンバーを集めながら活動中です。

TALK.02

生きた英語で美しい
釧路の街にもっと観光客を

 この会は、今年の1月に立ち上げました。私が指導するのは、いわゆる受験英語のような「読むための英語」ではなく、「話すための英語」。英語が話せるようになると、読み書きも自然にできるようになります。独自に開発した「KSメソッド」で、シンプルで分かりやすい英会話を楽しんでもらっています。真剣に取り組む仲間から、逆に感動や刺激をもらう毎日ですね。
 またこの会の目的には、釧路を英語の力でもっと観光の町にしたいという思いもあって、自然や街並みが美しく、食べ物も美味しい釧路には、海外に繋がるビジネスがたくさんある。もっと多くの観光客に釧路に滞在してもらいたい。そのためには市民の英会話力を上げ、日・英バイリンガルの日本語講師も育てたいですね。

TALK.03

日本語から英語への思考モードの
切り替えがこの時代を生き抜く鍵

 英会話を学ぶことには多くのメリットがあります。中でも、英語が話せるようになると、決断力や行動力が強くなる利点があります。先に結論を述べる英語に慣れることで、そのような思考になっていくのです。同時に、日本語の良さも再認識できるでしょう。これからは、日本語を使うときと英語を使うときの脳の切り替えができる人が、勝利する時代になっていくのではないかと感じていますね。

私の新聞活用術

  • 釧路の情報は新聞から得た人生の転機も新聞から得た

    川村 悦郎さんの好きなモノ・コト・トコロ

     45年ぶりに戻った釧路は自分の故郷なのに何もわからない。知人もいない…。そんなときに力になってくれたのが新聞でしたね。地元の情報を丹念に読んで、1年が過ぎたころ、やっと今の故郷がわかった気がしました。フィリピンへ行くきっかけを作ってくれたのも、東京で読んでいたある新聞の記事でした。

  • 目的を持って読むことで新聞を味方に付ける

    川村 悦郎さんの好きなモノ・コト・トコロ

     新聞は強い目的や意図を持って読まなくてはいけないと私は思っています。目的を持って読むと情報の方から自分に向かってどんどん飛び込んでくるような感じがします。アクションを起こすことさえ意識して新聞を読むと、私みたいに新聞で人生が変わることもある。新聞は私に大きな転機をくれた、かけがえのない情報源だったと思っています。

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