MENU

釧根 × 極み人釧根×極み人

vol8 布目 九一(ぬのめ くいち)さん
私が柴犬を飼い始めたのは27年前です。
幼い頃から犬好きで、
雑種犬ばかり飼っていました。

Profile 布目 九一ぬのめ くいちさん 70歳

1948年、富山県出身。10歳の頃両親と共に釧路へ移住。大学は東京へ進学するが、‘73年に釧路で置き薬の会社「とやまのくすり マルク布目一プク堂」を設立。
‘90年より柴犬を飼育し始める。‘93年「第51回春北海道展」では若犬賞、‘95年「第56回秋北海道展」では日保本部賞を獲得。
2017年11月に和歌山県で行われた「第114回日本犬全国展覧会」では柴犬全550頭から4頭が選ばれ、道内初となる準最高賞の称号を手にした。

Senkon Talk1

展覧会出場の始まりは、番犬として飼った柴犬

私が柴犬を飼い始めたのは27年前です。幼い頃から犬好きで、雑種犬ばかり飼っていました。
 28年前に飼っていたアイヌ犬の血が混ざった雑種犬が亡くなり、次女がハスキー犬を飼いたいと言い出したんですね。当時はハスキー犬ブームも落ち着いてきた頃だったのですが、盗まれないかと心配でハスキー犬の番犬として柴犬を飼うことにしました。すると釧路から日本犬展覧会に参加していた方が、飼っていた柴犬を見て展覧会へ出した方が良いと言ったんです。
 それから私の趣味は、展覧会に出場する柴犬の飼育になりました。現在は6頭のみですが、20頭以上飼っていたこともあります。日本犬全国展覧会で準最高賞を獲得することができましたが、私のような素人には夢のようだと感じています。

  • 展覧会出場の始まりは、番犬として飼った柴犬
  • 展覧会出場の始まりは、番犬として飼った柴犬
Senkon Talk2

飼育のプロがひしめく中運と粘り勝ちで日本を代表する柴犬に

私が柴犬の飼育に夢中になった要因のひとつに、展覧会の審査基準や犬種の歴史があります。
 日本犬は1934年当時の猟師が飼っていた犬を基準として日本犬保存会によって定められた在来犬6種を指します。中でも柴犬は飼育数の最も多い個体ですが、海外の犬種と比べると歴史が浅く遺伝子が安定していない犬種でもあります。そのため歯の数が多かったり少なかったりすることがあるのです。展覧会では骨格や体格などを含めて基準に照らし合わせ、筋肉量や毛並みの状態まで天然記念物にふさわしい一頭かを審査します。もちろんその際、犬が少しでも動いたりすると減点になります。その時の緊張感はたまらないですね。審査に通過した時はまるで自分が試験などに受かったような喜びを覚えます。
 しかし、そんな喜びを感じていても一時は柴犬を飼うこと自体、辞めようとした時期もありました。それは展覧会にいくら出場しても素人では勝てないと考えたからです。展覧会の参加者達は元々犬種を追求するだけの余裕がある人や飼育自体を仕事にする人ばかりでした。常連であれば柴犬を800頭飼っていたりするわけです。本業が別にあって趣味の一環で飼っているような状態で勝てるわけがないと思いました。
 しかし辞めた矢先に展覧会で知り合った全国の友人が次々に柴犬を贈ってきて、しかたなく柴犬を飼い続けることになったんです(笑)。

Senkon Talk3

人生の先輩から若者たちへのメッセージ

取り組むからには頂上を目指すこと、この一言に尽きます。
 元々私は納得がいくまで徹底する性格だったことも関係していますが、努力を惜しまないことです。私も毎朝5時に起きて犬の散歩をしたり、展覧会に合わせて毛並みを整えるために毎日犬のシャンプーをしたりしました。追求した者にしか分からない景色というものは必ずあります。私の場合は釣りに似ていて、誰も釣れない中一人釣り上げたときの優越感に似ていました。それに犬は何よりも正直で、熱意についてきてくれる存在だったことも大きいですね。

Senkon Talk4

私の新聞活用術

  • 心温まるコーナー 「はいはい道新」

    心温まるコーナー  「はいはい道新」

    新聞は欠かさず読んでいますが、商売柄お悔み欄は必ず確認しています。お付き合いのある方やそのご家族などが掲載されていることもあるため、社会人として参列することは常識ですね。 個人的に楽しみにしているのは、夕刊に掲載されている「はいはい道新」のコーナーです。家の中に季節外れのトンボが迷い込んできた話など、道内各地に住むさまざまな方の体験談や意見が掲載されています。 心温まるエピソードばかりです。他にはない貴重なコーナーだと思います。

TOPへ