今の目標は、私らしい方法や視点で、
釧路の素敵なところを1人でも多くの方に
伝え、釧路LOVERを増やすことです。
新田 結実 さん29歳
マーメイドくしろ
1988年生まれ。釧路市出身。釧路江南高等学校卒。
高校卒業後、語学学校を経てアメリカへ留学。大学で音楽と芸術に
ついて学び、2016年に帰釧。現在は音楽活動を続けながら、
釧路観光コンベンション協会で働いている。
TALK.01
なぜ釧路ではたらくの?
幼い頃から歌うことが好きで、市内の音楽教室でボイストレーニングを受けていました。釧路を離れるきっかけは高校の学校祭で洋楽を熱唱したこと。その経験から内気な自分の殻を破りたい、海外アーティストのように心に響く歌を歌いたいと強く思い、留学を決意したんです。渡航先は音楽の専攻もある、カリフォルニアの大学でした。アメリカでの生活は実りあるものでしたが、高い学費で勉強以上に生活費を稼ぐことに精いっぱい。そんな日々が続いていた頃、日本から祖父の体調が悪いという連絡が来たんです。今帰らなければ会えなくなるかもしれないという思いで帰国することにしました。アメリカで長く生活していたため敬語の使い方や生活の違いなど、日本へ戻って働くことに不安はありました。しかし英語を活かして海外から訪れる外国人観光客の助けになるような仕事をしたいと思っていたところ、釧路観光コンベンション協会で働く機会を得ました。帰釧後、暖かく迎えてくれ、私を育ててくれた釧路に恩返しをしたいという思いから、観光大使マーメイドくしろとして釧路のPR活動を行っています。
TALK.02
釧路のこと
離れる前は当たり前だと感じていた釧路の良さに、アメリカへ行ったことで気付くことができました。例えばひんやりとしている空気や美味しい食べもの、周囲に広がる大自然などです。子どもの頃から祖父が働いていた温根内ビジターセンターへ遊びに行っていましたが、釧路湿原の壮大さや四季の美しさに改めて気付かされました。カリフォルニアは乾燥地帯で四季の移り変わりがあまり感じられなかったため、より感じましたね。最も好きな場所は、釧路へ戻ってから出かけたキラコタン岬です。ライセンスを持ったネイチャーガイドが一緒でなければ入ることのできない湿原の奥地で、エゾシカやタンチョウなどの野生動物も訪れる、森の香りにあふれた場所です。釧路へ帰ってきてからは、自然や温泉を求めて周辺の地域へドライブすることが休日の楽しみです。
TALK.03
仲間のこと
長くアメリカで過ごす間に、釧路の友人たちとは疎遠になってしまいました。そんなとき、発足メンバーとして声をかけてくれたのが学生や同年代の事務局メンバーでワクワクするような未来を創造(想像)する「釧路わかもの△カイギ」(2016年10月発足)です。参加メンバーは自分とは全く違う人生を送ってきていて日々とても刺激になります。
最近ではメンバーの1人が阿寒町に新しくオープンしたゲストハウス「コケコッコー」へもよく遊びに行きます。 今後も皆で様々なプロジェクトを進めていきたいと思っています。何かしたい!と思っている釧路の若い方にどんどん参加していただきたいですね。一緒に釧路が楽しくなることを実現していきたいです。
TALK.04
歌うこと、釧路への恩返し少しずつ前進
楽しいことだけでなく大変なこともあったアメリカ生活でしたが、いろいろな経験を乗り越えたからこそ豊かな歌の表現ができるようになったと感じています。現在は芸術館や喫茶リリーなどで、映画音楽やミュージカルなどの洋楽曲を中心に歌っています。自分の大好きな歌を、まずは自分の育った街で地元の方々に聞いて欲しいという思いですね。
観光協会やマーメイドくしろの仕事では、多くの方とお会いし、釧路についてたくさんのことを学ばせていただいています。
釧路でやってみたいことが次々と浮かんでくるため、1つずつ実現していければと思っているところです。最近は釧路の魅力についてもっと深く知るためにネイチャーガイドの勉強を始めました。観光協会にも海外の方からの問い合わせがあり、釧路の観光スポットはもちろん、湿原の成り立ちや動植物などについてもっと詳しく英語で説明できるようになりたいと思ったためです。今の目標は、私らしい方法や視点で、釧路の素敵なところを1人でも多くの方に伝え、釧路LOVERを増やすことです。
新田 結実さんの好きな
モノ・コト・トコロ
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サウンドオブミュージック
特に好きなミュージカル音楽。歌うこともあるので、しっかり発音するため楽譜も持っています
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プロダクトデザイン
アメリカで勉強した経験で、ボールペンのデザインを考案しました
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ラーメン
ラーメンが好きで、釧路のラーメンをいろいろと食べ歩いています。