子供は何でも口に入れてしまうので、
じゃあ口に入れても大丈夫なものを
作ってあげようと思ったんです。
菅原 稔 さん65歳
木工作家
1952年生まれ。阿寒町出身(現釧路市)。ガス会社に勤務しながら、子供の誕生を機に自宅で木工作品作りを始める。
2003年に実家の敷地で工房を開設。人づてに作品が広まり、2014年には大手セレクトショップにメジャーカップを卸す。2016年には札幌のエスタ7階にあるユナイテッドアローズグループ 「coen」で展開している北海道の作家作品の一角に商品が取り扱われる。
TALK.01
きっかけは安全な木で作った子供へのプレゼント
ものづくりを始めたきっかけは、子供ができてオモチャを作ってあげようと思ったことです。
私はガス会社に勤めていたのですが、妻の親は酪農家でした。ですから余っていた土地に畑を作って、手作りのたい肥作りからこだわった無農薬野菜を育ててみたりといろいろなことに日頃から取り組んでいました。ものづくりもその一環です。
子供は何でも口に入れてしまうので、じゃあ口に入れても大丈夫なものを作ってあげようと思ったんです。最初に作ってあげたのは動物の形をした車のおもちゃでした。子供と過ごすうちに、今度はこんなものが好きかもしれないと、作り続けてきました。そんな始まりだったので、当初から手触りや使い心地には気をつけていましたね。機械もどんどん増やし、作り始めて35年になります。
TALK.02
趣味から広がる全く知らなかった人との縁
趣味で始めた木工細工が商品になったのは、ここ数年のことです。娘がアルバイトをしていた飲食店が釧路から旭川へ移転することになり、娘がお店に何かプレゼントを贈りたいと言ったんです。そこで木で作ったターナーを贈ると、気に入ってお店に飾ってくれました。
お店の周辺には『スヌス』という旭川市内で2店舗で展開している輸入雑貨店があり、その社長がよく食事に訪れていたんです。それで偶然目に留まって、商品として取り扱ってもらうことになりました。
その後は、そのスヌスの社長の口コミで大手セレクトショップのバイヤーや札幌エスタの7階にある『coen』(コーエン)の社長にもつながっていったんです。雑誌やテレビなどにも取り上げてもらって…、本当に縁というものはどこでどうなるか分からないなと実感しています。
TALK.03
人生の先輩から若者たちへのメッセージ
いろいろな方との縁を結んでもらった趣味ですが、大規模に展開することは考えていません。
今も工房は阿寒にありますが、知り合いに作り方や機械の使い方を教えるだけにしています。しっかりとした仕事となると規格なども考えなくてならないので、楽しく作れなくなってしまう。好きなことは好きなようにやっているから、続けていられるんですよね。
そうすることで、思いも寄らない誰かとつながっていくことがあるんです。
私の新聞活用術
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釧路地域面の記事には知り合いが載っていることも
私は作品を写真に収めてSNSへ投稿したりもしています。釧路地域面の記事にはものづくりを通して知り合った人たちの活動などが載っていることもあるので、ネットの活動報告を見るのとでは違った趣がありますね。 また自身の紹介記事は、嬉しくあり、感謝しています。
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テレビよりも見やすいテレビ欄
夏になると自宅ではなく工房に住みこんで朝刊が届く前に活動し始めることが多いので、なかなか新聞を読む時間がありません。でもテレビ欄は必ず読んでいますね。今、テレビ内でも見られますが、新聞の方がやっぱり見やすいと感じます。 また死亡広告も釧路地域では重要な情報源です。