赤平で創る、育む。赤平対談

板垣英三×鈴井貴之

地方だからこそ発展する可能性がある

鈴井貴之

—鈴井さんは今年、クリエイティブオフィスキューを設立して20年、演劇活動を始めて30年、そして自身50歳という節目の年で、これまで一貫して北海道を拠点に発信されてきましたが、地域への思いはどのようなものでしょうか?

鈴井:日本という国の中ではあらゆる物事が東京中心に考えられがちですけど、何もかもそれに当てはめられませんよね。今は札幌が自分の中では中心だし、赤平で活動する比重が増えれば、赤平がぼくの中心になる。自分が生活している地域を一番に考えることは自然なことだと思います。

—板垣会長は30年以上前に赤平に移り、会社を起こされましたが、その経緯はどのようなものでしたか?

板垣:わたしは15歳の時、東京の八木鞄製作所にでっち奉公として入り、19歳で独立。大手鞄メーカーで開発・製造に携わりました。その後、当時の北海道知事が訪れて、企業誘致の話を持ちかけられ、1976年に赤平に移住して会社を立ち上げたのです。

板垣英三

—ものづくりという観点からすると、赤平はどのようなところですか?

鈴井:生まれ故郷である赤平では、今まで自分がやってきたことをもう一度、一からなぞってみたいと思っています。時間や予算に追われるのではなく、丁寧に丁寧に自分で100点満点と思えるものをつくっていきたいですね。

板垣:当初は経営が苦しく生活に窮する状態が続きましたが、やがて支援してくださる方が現れ、会社を立て直すことができました。赤平は炭鉱の閉山により過疎化しましたが、そういうところでこそ、原点に帰って丁寧なものづくりを続ければ世の中が認めてくれる。いいものを作り続ければ、全国から海外からお客様が訪れるようになるのです。

丁寧につくること、手を抜かないこと

—では、ものづくりについてのこだわり・信念をお聞かせください。

鈴井:やはり丁寧に妥協せずに作っていくことを心がけていきたいですね。「自分で表現する」というエゴではなく、みなさんが欲しているものは何かを踏まえた上で、自分の作品を手がけていければと思います。 板垣 「手を抜かない」「真似をしない」「お客様を〝使うプロ〟と考える」をテーマとして考えています。それから革製品ですから、材料は最高のものを使う。当社の革は化学薬品は一切使わず、粉にすると肥料にもなるんですよ。

—では最後に、北海道の未来についての想いを聞かせてください。

鈴井:未来や将来って、みんな遠くを見てしまいがちだけど、実は足元にいろんなヒントが転がっていたりする。身近なところに将来がある。もう一度自分たちのまわりをじっくり見てみることが、未来へつながる第一歩になると思います。

板垣:東京に負けない北海道にしたいですね。地方だからできることを、どんどん発信していくべきだと思います。そして、この素晴らしい土地で、みんなが結婚して、子どもを産んで、経済的に豊かになって…。そんな北海道になってほしいですね。

未来や将来って遠くを見るのではなく、ヒントは足元に転がっているのです。/丁寧なものづくりを続けていれば、やがて世の中は認めてくれると思います。
板垣英三株式会社いたがき会長
15歳で東京下町の鞄職人「八木廉太郎」に師事。以来、61年間鞄づくり一筋に歩む。1976年 北海道に移住。
1982年 工房「いたがき」を創業。確かな技術に裏付けられた職人魂をもって、「いたがきの鞄づくり」を続けている。
鈴井貴之株式会社クリエイティブオフィスキュー会長
1992年「クリエイティブオフィスキュー」を設立。タレント・映画監督等多方面で活躍。
10月6日㈯より舞台「樹海-Sea of the Tree-」が東京・名古屋・大阪で上演。
11月には『CUEのキセキ~クリエイティブオフィスキューの20年』
(著:クリエイティブオフィスキュー 発売:メディアファクトリー)刊行予定。
  • EDIT:北海道新聞社広告局/nu
  • TEXT:高崎 克秋
  • PHOTO:川村 勲
  • 記事公開日:2012年9月28日 朝刊 掲載

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