街が人を、人が街を育む

40年間変わらない、ライブヒルズの精神。

厳しい条件下でのタウン開発

 1974年、札幌市は、「札幌東部開発計画」を発表しました。ここでいう東部とは、ライブヒルズがあるエリアを含む1,265haの丘陵地を指し、当時は畑、林、沢、火山灰の採取跡地などが馬の背のようになっていました。
 この広大な土地に、豊かな暮らしを描き続けられる、新しい街をつくる-。それはかつてないスケールのプロジェクトであり、しかも官主導ではなく、官民一体となって推進していくというフレームは画期的かつ先駆的なことでした。
 札幌市は、該当地を100ha単位の住区に分割し、「札幌東部開発計画」の趣旨に賛同するデベロッパー7社を募りました。各社がいかに個性を出しながら、受け持ち住区が最も魅力的になるように整備していくか。切磋琢磨(せっさたくま)しながら、街づくりを行っていこうという趣旨でした。
 宅地の開発では全体の3%を公園用地にすることが決められていましたが、札幌市はこれを6%に引き上げました。それは、デベロッパーにとっては3%の宅地減、つまり売上減につながります。しかし、札幌市は、この東部地区を長期にわたり、高い価値を持ち続けられる街にしたかったのでしょう。この基準を決して譲ることはなく、この他にも厳しい条件を提示。それらに賛同する企業だけが開発の同志となったのです。

豊かな緑が、東西に残る地

 丘陵地は全12住区に分けられ、丸紅は4住区を受け持ちました。開発に当たり、掲げたコンセプトは、「人と自然に優しい街づくり」。そして、自分たちが住みたくなる街にしようとの思いを温めながら、北側から整備を進めました。
 受け持ちエリアの一番の特徴は、東西に大いなる自然が残されていたこと。西側は市内有数の総合公園・平岡公園に、東側は自然河川があり、樹木が豊富な東部緑地に整備されていきました。それは、昔の子どもたちが持っている、山に入って遊んだという原体験を与えてくれるような場でもありました。
 こうした恵まれた環境を生かし、厳しい開発計画に基づいて、どこに小学校や中学校、商業施設、近隣公園、街の中の公園を配置していくか。街づくりの土台は、その施設を主に利用するご家族、働く人、そして暮らし、生活をイメージしながら検討が重ねられていきました。

人と街、緑をつなぐコミュニティー道路

四季をテーマに、舗装材や街路樹の樹種を変え、
個性を出したコミュニティー道路。
写真は、ミズナラ、イチイなどが植えられた「木の実の道」
 施設の位置が決まれば、次は動線となる道路の配置です。幹線道路の位置がほぼ決まっている状況で、街の中から幹線道路へどのように連結していくか。それは、単に移動ルートを設計することではなく、人と車の共存を図り、さらに人が気持ちよく通行できる道を作るにはどうしたらよいかという、心理面からのアプローチも含んだ課題でした。
 ライブヒルズ内には、四季をテーマにした名前が付いた、8本のコミュニティー道路が走っています。その幅員は、歩車分離を可能にする12 mを上回る、16m。安全に歩ける歩行者優先のこの道路の多くは、車が自然とスピードを落とすよう、緩やかなカーブを描いて街をつないでいます。そしてそこには、東部緑地と平岡公園の緑が街に溶け込むようにしたいとの思いから、たくさんの街路樹が植えられ、植栽が施されました。
 ここに秘話を明かせば、開発黎明(れいめい)期、丸紅の関係者たちは移植できそうな木を求めて、近隣の山の中を何日も歩いたそうです。山にはメイゲツカエデをはじめとするカエデ、シナノキなどが多くそびえ、そこから7 ~ 10 m 級の天然樹木、約1 , 0 0 0 本を公園や緑道などに移植。樹齢を重ねた樹木が配置されるにつれ、真っさらだった丘陵地は、穏やかな時を受け継ぐ街へと姿を変えていきました。

公共の空間にこそ、余裕を

 ライブヒルズのグランドデザインで、もう一つ重視していたこと、それは「ここに住まう方々にとって、最も大切なものは公共の空間」という考え方です。一邸、一邸はオーナーの所有ですが、公共の空間は誰も買えず、逆説的に言えば、将来的にも担保されるもの。だからこそ、公共の空間には余裕を醸したいと考えたのです。
 一般に児童公園といわれる街区公園は14あり、それぞれ空間をぜいたくにとることで、子どもだけでなくお母さんも集い、くつろげる場に。さらに、美しい街並みを阻害しないように、電線の地中化を進めたり、テレビアンテナを立てずに済むようにテレビ受信ケーブルをタウン全体に引き込んだり。また、樹木を豊富に取り入れた街に、味気ない防犯灯はなじまないことから、街路灯にはデザイン灯を採用したり。その他、歩道を一部、インターロッキングや自然石張りにするなど、多面的な目配りが行き届いています。

愛着は誇りとなり、次の世代へ

暮らしを楽しんでいる様子が伝わってくるひとコマが、
ライブヒルズにはあちらこちらに
 「人と自然に優しい街」、「自分たちが暮らしたくなる街」にするには、何が必要なのか。この問いを原点に、約4 0 年前から現在に至るまで、ライブヒルズは時を刻み、数多くのご家族の物語を育むステージとして歩んできました。
 この間、住民の方々の間でイルミネーションやガーデニングを楽しむなど、ライブヒルズを愛する気持ちから生まれた動きも出てきました。「私たちが住むライブヒルズ」という愛着が誇りとなって、街全体を包んでいることは、代替わりをしてもライブヒルズに住まい続けるご家族が多いことからもうかがえます。
 ライブヒルズは今も、南へ向かって成長しています。教育施設、公共施設、生活利便施設などが整い、たっぷりの緑を茂らす樹木が木陰を作る道の両側には、心豊かな暮らしを感じさせる家並みが続いています。人と自然に優しい街、ライブヒルズ。それは40年前に産声を上げた時に刻まれた願いであり、永く受け継がれる財産なのでしょう。

  • EDIT:北海道新聞社広告局
  • TEXT:株式会社オブジェクティフ 佐々木葉子
  • 記事公開日:2013年6月30日 朝刊 掲載

育未来計画 Webアーカイブ

  • 「育」未来計画とは?
  • お問い合わせ